時空の旅に出る③

長編
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母の葬儀は兄が喪主で行った。

父はずっと母の遺影を見て泣いていた。

私はそんな父の姿を居たたまれない気持ちで見ていた。

母が癌を患って、みるみるうちに弱っていく姿を父も見ていたはずなのに
病院から家に帰って来ると、「お母さんはどこ?」と探していたのだ。

きっと父は、母の葬儀にいること自体、理解できていないだろう。

ただ、理解できない、という意味では私も同じだ。

母は父より12歳も年下なのに、父より先に逝ってしまうなんて
想像もしていなかった…。

父と母は、子供が呆れてしまう程仲が良かった…。

本当に愛し合っていたのだろうと思う。



父と母が出会ったのは、日本橋の百貨店だった。

中学校の教師をしていた父が、友人の付き合いで
紳士服売り場に行った際に、接客した店員が母だった。

大学出たての初々しくてハツラツとした可愛らしさに
父は一瞬で心を奪われたのだ。


「お父さんには当時、お付き合いしていた女性がいたんだって。」

「え、その女性を振ってお母さんと付き合ったってこと…?」

母と私の会話を聞いていた父が、慌てて口をはさんだ。

「振ったなんて人聞きが悪いですね、お互い潮時だったんだよ。」

「お父さんたらね、結婚を前提にお付き合いして下さいって売り場で
言ったのよ、あの時は恥ずかしくて顔から火が出そうだったわ。」

「お母さん、そんな話しを娘にするのはルール違反ですよ。」

顔を赤くした父が、そう言って書斎に逃げて行った姿を思い出す。



母は25歳で父と結婚した。

翌年に兄が生まれ、その4年後に私が生まれた。

父は市内の中学校を何ヵ所か異動した後、最後に校長を7年程勤め、退職した。


一回りも年下の母と結婚したせいか、父はいつも身綺麗にしていた。

今年で78歳になるとは思えないくらい父は若く見える。

それでも父には、78年生きてきた重みを感じる。

母に会うために、毎週日本橋まで通い買い集めたネクタイが、
父のクローゼットで今も眠っている。

今、私の目の前でロッキングチェアーに揺られながら庭を眺めている老人は、
確かに40年前、母に恋をした。

そして、ずっと愛したのだ。

薄れていく記憶の中、父はいま、いつの時代を彷徨っているのだろう…。