時空の旅に出る㉒

長編
長編

由美子の家ですっかり長居してしまい、気が付いたら夜になっていた。

夕飯をご馳走になる代わりに、由美子が赤ん坊をお風呂に入れたり、
寝かしつけをしている間、私が尚人の面倒を全面的に引き受ける事にした。


「由美子はやっぱり凄いわ!これを一人でやってるなんて。」

「大したことないわよ、それより今日は美香がいてくれて助かったわ、
ほんとに、ありがとうね。」

由美子は私の肩に飛び付いて微笑んだ。

「尚人も随分、美香になついてたじゃない?」そう言ってクスッと笑った。

「あれなついてるって言わないでしょ、からかわないでよね」

そう言って怒るふりをしたが、反抗しまくる尚人を追いかけまわしたり、
ヒーローごっこで強制的に怪獣役にさせられて、嫌という程攻撃された
ことを思い出して、結局由美子と一緒に笑ってしまった。


「確か美香のお兄さんにも子供いたよね? 遊んであげたりするの?」

「ぜ〜んぜん。姪っ子は幼稚園生なんだけど、少々生意気なのよ。」

「そっかぁ、おませさんなのね、 ふふふ。」


私はおそらく、赤ん坊や小さい子供が苦手なのだ。

由美子の赤ちゃんを見て、可愛いとは思うのだけど、あやすことが出来ない。

ましてや赤ちゃん言葉など恥ずかしくて使えない。


姪っ子が生まれたとき、実家に集まって赤ん坊をみんなであやしたり
抱っこしたりしていた中で、何もできずにジッと赤ん坊を見つめていた

そんな私を見て、母が言った。

「美香は赤ちゃん、あやせないでしょう?」

「そんなことないわよ」

「まぁ、美香がまだ赤ん坊だからなぁ。」

と兄が冷やかす。

「はい、美香ちゃんも抱っこしてあげて」と義姉が私に赤ん坊を預けた。

赤ん坊は一瞬、居心地の悪そうな腕の中でじっと私の顔を見つめたが、
すぐに泣き始めた。

急いで母が駆け寄り、私の腕から初孫を抱き上げあやし始めた。

「はいはい、ごめんね~ ほら、お庭でお花見しましょうね~」

みんなの視線が、赤ん坊と、庭へ向かう縁側に向いた隙に退散した事を思い出す…。


「日高さんはまだベトナムなの?」

「うん、今回はちょっと長いのよ、でも来週末には帰ってくるわ。」

「商社マンって大変なのね、でも国内外を飛び回る仕事って、
なんだか羨ましいわ。」

由美子が珍しくそう言って、大きなため息をついた。


「またきっとお土産いっぱい買ってきてくれるはずだから、
その時は二人で来るわね。」

「嬉しい!楽しみに待ってるわ。」

じゃあそろそろ帰るわね、と言いながら時計を見ると、10時を過ぎていた。
由美子はこんな時間まで、毎日たった一人で子育てをしているのだろうか…。


「ねえ、由美子の旦那さんて…」そう言いかけた時、
「美香、今夜のコロッケ余ったから持ってってよ、うちも食べきれないから。」
と、台所からコロッケの入ったタッパーを持ってきた。


「あ、ありがとう~ 由美子のコロッケ大好きよ、 ご馳走様。」

「気をつけて帰ってね、おやすみ。」

新興住宅地に建つ由美子の家は、ひと際目立つ3階建ての家だ。
3階には洒落た形をした小さな窓が並んでいる。

2階のテラスからのぞく植物のグリーンが、モダンな外観の
アクセントカラーとなっていた。

外に出ると、初冬の冷たい空気がいっきに私を取り囲んだ。
パーカーのフードを急いで被り、駅に向かって歩き出した。
由美子の家から歩いて20分程で駅に着く。

そこから電車に乗って一駅で降り、歩いて5分の場所に
私と武史が暮らすマンションがある。


由美子の家を出てから5分ほど歩くと、右手に昼間遊んだ公園がある。

公園を過ぎて突き当りを左に曲がり、そのまま道なりに歩いていくと
小さな駅が見えた。

数台のタクシーが待機する小さなロータリーも、少ない街灯と駅前の
コンビニの明かりでぼんやりと姿を現した。

電車の時刻まで少し時間があったので、ロータリーを突っ切ってコンビニへ向かった。


ホットココアとのど飴を持ってレジの列に並んだ。

「また、こんな時間になっちゃいましたね、お家、大丈夫ですか?」

「君はそんな事、気にしなくていいの。」

「だって、滝沢主任に申し訳なくて…。」

私のすぐ後ろで男女の話し声が聞こえる。


しかも男の声は由美子の旦那だ。

「大丈夫、それより明日は遅刻しないで、元気な笑顔で来てね。」

「は〜い。うふふっ 滝沢主任ってホント優しい~。」


さっきまで一緒にいた親友の顔が頭をよぎる。

由美子が赤ん坊に母乳をあげている…
泣きじゃくる赤ん坊を、あやしながらお風呂に入れている…
子守唄を歌って寝かしつけて、暴れる尚人をなだめてご飯を食べさせて、
美味しいコロッケを持たせてくれた、別れ際の由美子の笑顔…



(由美子を舐めるんじゃないわよ!)


思い切って後ろを振り返った。

突然振り返った私のただならぬ形相に、彼は相当びっくりしたのか
「あっ、、、」と声をあげた。

「次の方~。」と、レジから声がした。

目を丸くして立ち尽くす由美子の旦那をにらみつけ、
レジを済ませてその場を後にした。