面影…⑰

中編
中編

「恭ちゃん…」

リナは俺の顔を見るなり、持っていた包丁をシンクに放り投げて
抱きついてきた。

「リナ、大丈夫か?」

リナは左手の人差し指と中指から血をにじませながら、微かに
震えている。

彼女の顔をそっと覗くと、大きな瞳は涙で濡れていた。

「リナ…?」

俺は急いで彼女をソファーに座らせ、水を飲ませた。

「ごめんね、恭ちゃんに美味しいご飯作りたかったのに、
全部失敗しちゃった。」

やっと落ち着きを取り戻したリナは、ぽつりと言った。


そういえば、今までリナが料理をしたところなど見た事なかったな…。
二人で会う時はいつも外食か、テイクアウトだったっけ。

「リナ、俺が悪かったよ。帰り道、何か気の利いた食べ物を買ってくれば
よかった…。ごめんな。」

急いで救急箱からバンドエイドを取り出し、リナの指に巻き付けた。


「私、お料理って、まともに作ったことがなかったの…。」

結局その夜はフードデリバリーを利用することにした。
待っている間に、散らかったキッチンを二人で片付ける事にした。

「じゃあ、私が洗うから恭ちゃんは拭いてね。」
「オッケー、任せて。」

リナは焦がした鍋やフライパンをゴシゴシ洗い、シンク周りに
転がっている食材を丁寧に洗って、密封容器に入れた。

俺は彼女が洗い終わった調理器具を拭き、棚に仕舞った。

「はぁ…。」

冷蔵庫を見ながらリナがため息をつく。

「明日からどうしよう…。」

タイミングよく届いたフードデリバリーのカツ丼を食べながら、俺は考えた。

「リナ、食べ終わったら、二人でスーパー行かない?」

「え、今から…?」

「うん、まだこの時間なら空いてるし、簡単調理で出来るやつとか、
冷凍食品をいっぱい買って来ようよ!」

リナは暫く考えていたが、そのうち瞳をキラキラさせて立ち上がった。

「そうね、恭ちゃんと一緒にスーパーで買い物なんて、楽しそう!」

「俺もだよ、なんかマジで夫婦って感じだよな~。」

「ほんと、夫婦っぽいわね。」

俺達は食べ終わると、手をつないで夜のスーパーへ走っていった。

そしてスーパーに着くと、二人は大はしゃぎであちこち回り、
買い物カゴいっぱいの食品を買って、帰って来た。

「恭ちゃん、明日の朝はこれ食べよう!」

冷凍のパンケーキだ。

「これに、クリームとカットフルーツ添えたら素敵でしょ?」

「いいね!俺、カフェオーレのセットがいいな。」

「ふふ。了解〜。私はハチミツも付けちゃおっと!」

俺達は買ってきた食品を、冷蔵庫に仕舞う作業ですら、
楽しくて仕方がなかった。

そして、休みの日は二人で外食をし、帰りはまたスーパーで1週間分の
レトルト食品や冷凍食品などを買って帰る。

平日はお互いに仕事を頑張って、週末は二人きりでのんびり家で過ごした。

時には映画を見に行ったり、突然思い立って、ディズニーランドまで
行ったりもした。

結婚して半年が経ち、基本給にプラスされるインセンティブも
十分な額が獲れる様になってくると、そろそろ車が欲しくなる。

夕飯を食べ、風呂に入った後、俺はリナに言ってみた。

「いいわね!車があれば気軽に外出が出来るし、賛成よ。」

「頭金100万位入れたいけど…、今貯金てどれくらいになった?」

俺の給料は小遣いを除いて、ほとんどリナに渡していたので、
早速彼女に聞いた。

リナは二人で作った通帳を持ってきて、それを俺に渡した。

「あれ、リナ、これ通帳記入してないよ…。」

通帳の1ページ目の1行目に、最初の10,000円がポツリと
印字されている。

「うん、だって、入れてないもん。」
と、驚きの返事が返って来た。

「入れてない…とは?」

「え?だから、お金…、入れたいけど残らないんだもん。」

俺は唖然として言葉を失った。

「恭ちゃん? どうかしたの?」

俺の表情にきょとんとしているリナ。


残らないって…、いやいや、待ってくれよ、リナ…、嘘だろ?

二人の月給を合わせたら、少なくても50万以上はあるはずで、
家賃と光熱費、食費やらを引いてもせめて15万は残るはずだろう…。

子供もペットもいない、大人二人だけの生活だっていうのに…?

「リナ、家計簿みたいなのつけてる?アプリでも何でもいいよ。
あ、レシートはある?」

「え〜っと、レシートなら箱に入れてるわ。待ってて。」

リナは、ディズニーキャラクターのクッキーの空き缶を持ってきて、
それを俺に渡した。

「ほらこれ、前にディズニーランドで買ったクッキーの缶。覚えてる?
 レシート入れにしちゃった!ふふ。」

楽しそうに微笑むリナの笑顔を、俺は暫く茫然と見つめていた…。