家の近所にあるコーヒーショップで、由美子の旦那と会うことになった。
店に入ると、一番奥の席で気まずそうな顔をした彼が、
左手でこちらに合図をした。
「今日はありがとう…来てくれないかと思ったよ。」
「……。」
「この間の夜はびっくりしたよ、ほんとに…。」
それは、妻の親友に、愛人といるところを見られてしまったからですか?
…と言いたかったけどやめた。
沈黙さえも煩わしく感じた。
「滝沢さん、私はこの前女性との会話を聞いているし…それに、
由美子は私の大切な親友なんです。」
「そ、そうだよね、美香ちゃんは…、」
「だから、言い訳しても何を言っても無駄ですって事を伝えに来ました。」
一瞬、驚いた様子の彼は、やがて思い詰めた様に俯いた。
言ってしまった…。
でも…もうどうにでもなれと思った。
「分かった…、正直に話すから、僕の話しを聞いて下さい。」
長い沈黙の後、由美子の旦那がゆっくりと話し始めた。
彼の話によると、コンビニで一緒にいた女性は、直属の部下で、
それ以上の関係では断じてないとのこと。
最近、彼女の勤怠状況が良くないのでたしなめたところ、なぜか
話の成り行きで、恋人の相談を受ける羽目になったという事だ。
由美子の旦那は、叔父さんの経営する不動産会社で働いている。
全国展開している大手不動産ではないが、地域密着型としてこの辺りでは
昔から幅を利かせている。
「ただでさえ社長の甥っ子ってことで、よく思わない奴もいるのに、
不倫なんか知れたらそれこそ社内評価にも影響する…、僕はそこまで
間抜けじゃないよ。」
「…その女性との事は分かりました。」
「はぁ、良かった…、ありがとう。」
「でも滝沢さん、もう少し早く帰ってあげる事は出来ませんか?由美子は
よく頑張ってますよ、でも一人で出来る事にも限界ってあると思うんです。」
「それは、僕もわかってる…由美子はほんとに頑張り屋だから、
ちょっと心配なんだ。」
「だったら、会社の部下よりも先に、奥さんを助けてあげてください。」
少しの沈黙の後、彼が深刻な表情で私に聞いてきた。
「美香ちゃんにはどんな感じだった?」
一瞬、何を聞かれたのか分からなかった。
「由美子、笑ってた?」
「え…? うん、まぁ、いつも通りの明るい由美子だったけど…。」
そう返事をしながら、必死に日曜日の由美子を思い返した。
「あ、あの、由美子に何かあったんですか?」
思い返してみると、違和感を感じた時が何度かあった。
でもそれが何なのか自分でも分からなかった。
「滝沢さん…?」
「そう、やっぱり、美香ちゃんの前では普通だったんだね。」
「あの…もしかして、2ヵ月も実家に帰ってた事と関係がありますか?」
そう聞きながら、由美子のいないところで由美子の話しを聞くことが、
裏切り行為のように思えて胸が痛くなった。
「美香ちゃん、今はまだ、僕から聞いたって由美子に言わないでね。」
「…。」
「由美子はその2ヶ月間、精神科で治療を受けながら療養していたんだ。」
「え…?」
「鬱…なんだ。」
「う、鬱病って、由美子が?」
「僕のせいだよ、仕事であまり家にいてあげられないし、子育てを由美子一人に…」
由美子の旦那がせきを切ったように話し出した。
彼もきっと、誰にも言えず自分だけで抱えていたのかもしれない。
それでも…、それなら、なおさら由美子のそばに居て欲しい。
由美子が鬱…、なぜ、気付いてあげられなかったのだろう。
日曜日だってずっと一緒にいたのに…。
由美子の旦那の携帯が鳴った。
「ごめん、会社に戻らないと…また連絡するね。」
「滝沢さん、由美子の事、お願いします…。」
それしか言えなかった。
無力感を抱えたまま、家に帰った。
携帯を見ると、「予定変更で明日の便で帰るよ」と、武史から
LINEが入っていた。