後日、トオル君からLINEが届いた。
『美香ちゃん、変わりない?大丈夫?』
『平気よ、何も変わりないわ。』
そう返信すると、すぐにまたLINEがきた。
『今どこ?』
『仕事が終わって、今、車に乗ったところ。』
すると今度はトオル君からの着信。
「もしもし…。」
「美香ちゃん…どうして僕が電話したのか分かってるよね?」
スマホを介した耳元で、トオル君が優しい声で問いかける。
彼は、私が無茶なことをすると、いつもこんな風に
たしなめる口調で話す。
「え…、えぇ、分かってるわ、…あの日はちょっと、
飲み過ぎちゃった…遅い時間に電話しちゃってごめんね。」
「それはいいけど…、どうしてあんな時間に一人で飲んでたの?」
「ちょっとした気分転換よ。」
「お酒弱いのに…?旦那と何かあったんじゃないの?」
「うん、まぁ、ちょっとした意見の相違があったのよ。」
「それで、何かされた…?」
「まさか…、武史は温厚な人だから…前の人とは違うわ。」
「ま、まぁ僕も彼とは教会で一度会ってるから…、前みたいな
心配はしてないけど…、何となく気になって電話しちゃった。」
「ありがとう…でも大丈夫よ、あの後、すぐ仲直りしたもの。」
…………
少しだけ沈黙の、妙な時間が流れたような気がした。
そして、いつもの明るいトオル君の声になる。
「あ、そうだ、そろそろ美香ちゃんのカット予約入れられるよ。
都合のいい日、後で教えてね。」
「あ、ありがとう。じゃあ、帰ったらすぐLINEするわ。」
電話を切った後、私はそのままお茶の稽古に向かって車を走らせた。
トオル君はきっと、また私が自暴自棄になっているのではないかと
心配して連絡をくれたのだろう。
以前、離婚した時も、酔った勢いでトオル君に
電話をしたことがあったから…。
最初の結婚を急いで決めたのは、ただタイミングよく、丁度良い相手が
いたからに過ぎなかった。
その頃兄が結婚して恵美子さんが妊娠し、母が彼女を酷く気に入って、
私の前で恵美子さんの話ばかりするのが、どうにも癪に障ったのと、
それに加えて、トオル君が当時付き合っていた恋人と一緒に、フランスへ
留学を兼ねて行くと言い出した事が重なり、苛立ちと寂しさを抑えられずにいた。
結婚をして家庭を持てば、母がまたこちらを向いてくれると思ったし、
トオル君への想いも完全に断ち切れると思い、早すぎるプロポーズを
受けてしまった。
私よりもかなり年上だった夫は、親や親戚に結婚を急かされて、
仕方なく結婚したという事を、一緒になってから聞かされた。
結局、1年で離婚し実家に帰るも、当時の瀬野家は姪っ子の誕生で
お祝いムードに包まれ、私の居場所など、どこにもなかった。
由美子夫妻の計らいで、暫く家に泊めて貰ったりもしていたが、
二人の好意に甘えてばかりいる訳にもいかない。
離婚して1年が経っても、私は相変わらずいじけたままだったし、
両親の顔を見る度に、申し訳ない思いで居たたまれなかった。
離婚した事をトオル君に知らせると、彼は即座に返事をくれた。
「僕の部屋においで…。」
渋谷にある彼の部屋は、一人暮らしには十分な広さだった。
酒乱の夫に怯えた結婚生活だったことを知ったトオル君は、
どうして連絡してくれなかったのかと、寂しげに言った。
そして私はその時、はじめて彼からハグをされた。
「恋人は一緒じゃないの?」
「いないよ、別れたから。」
「今のは挨拶のハグ?」
「美香ちゃんが元気になるまで、僕が一緒に居てあげるからね。」
トオル君は私の問いには答えず、代わりにクスッと
笑って、そう答えた。
「次の恋人が出来るまで…でしょ…?」
「まだ、出来ないよ。」
「どうせ、すぐできるわ。」
母には、暫く会社の寮に泊まると嘘をついた。
そうして私は、武史と出会う少し前まで、
トオル君と一緒に暮らしていた。
